【大相撲名古屋場所 7月9日 〇豊昇龍-翔猿×】
大相撲場胡屋場所が初日を迎えた。
大関昇進が懸かる3人の関脇は、いずれも白星を挙げた。
いい加減に「曲者」の枕詞を返上したい翔猿と対戦した豊昇龍も、土俵上の砂をハタきながらも白星を挙げた。
身体が裏返る(戦う体勢ではない)翔猿だが、豊昇龍の手が砂をハタいている時点ではまだ足も返っていない。ただ体は崩れきって、あとは落ちるだけというところ。豊昇龍の手が砂をハタいたのは一瞬のことだから、行事も審判も見えなかったのだろう。
軍配に物言いをつけたいのではない。
むしろ、よほどのことでない限り、軍配には物言いをつけるものではないと考えている。
ここしばらく、独り大関として角界を支えてきた大関・貴景勝が綱とり場所でケガをして、今場所はとうとう休場となった。
3月の大阪場所で優勝して5月の夏場所後に昇進した新大関・霧島は初日にケガで休場を発表。
責任感の強い独り横綱・照ノ富士は、実力も相撲の形も横綱の名に恥じない横綱だが、両膝のケガを抱えながらの取り組みが続く。
そこに、大関昇進に挑む3人の関脇がいる。
彼らが勝って大関になるのは、角界にとっては良いことなのか。
ハッキリ言えば、彼らが勝って当たり前の大関、さらにはその先の横綱になれなければ、角界にとっては不幸な昇進となる。
大関のまま引退した豪栄道のあと、高安、栃ノ心、貴景勝、朝乃山、正代、御嶽海まで、再昇進の照ノ富士(令和3年夏場所)と新大関の霧島(今場所)を除いて6人がこの6年間で大関に昇進し、
そして6人全員が大関から陥落した。
1場所で復帰したのは栃ノ心と貴景勝のみ。しかし栃ノ心は再び陥落して、戻れないまま引退した。
実力とは関係ないところ(例の事件)で大関から陥落した朝乃山を除いても、5人のうち1人しか大関として継続できていない。
つまり、強い大関の登場が待たれている。
直近3場所の成績で大関に昇進したときがピークでは、話にならない。
強い大関が横綱としのぎを削る熱い土俵が見たいのである。横綱が優勝、あるいは大関が横綱を破って優勝、ときどき関脇あたりが優勝、5年に一度くらいは平幕が優勝。
そういう強さの序列こそが大相撲の魅力なのではないか。
みんな仲良くお団子状態では、何も面白くない。
大相撲は勝敗が全てという極端な世界ではあるが、これもまた多様性のひとつ。
みんな仲良くお団子状態の相撲界に発展性が見えないのは当たり前である。何故なら、勝敗が全ての世界であり、強さの序列があるからこそ面白い、勝負の世界だから。
大ケガをしてしまうような真剣勝負のなかで、強い横綱を引っ繰り返すような強い大関が3人生まれるなら、そしてそこから横綱が生まれるようなら、大相撲はこれからも発展するだろう。
それからもうひとつ。
大相撲の主役はあくまでも力士だ。
どんな大横綱でも、引退して土俵から降りたら主役は譲らなければならない。
プロ野球界の主役は監督だと勘違いしている人がいるかもしれないが、大相撲の主役は間違いなく力士なので、いつまでも土俵上の力士に光の当たる角界であってほしいと切に願う。
(ダベリィマン)
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